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逃がしたラクダ、世界一に増えた 豪州で新ビジネス成長

豪東部の中心都市ブリスベンから車で1時間のハリスビル。牧場をゆったり歩くのは、ラクダだ。2016年にできた牧場「サマーランド」では3・4平方キロの敷地に約560頭が放し飼いされている。
「甘み、酸味、苦み、塩味の全ての味がする。日本でいうウマミもあるそうですよ」。ジェフ・フラッド最高経営責任者(CEO)がグラスに注いだ白いラクダ乳は、さっぱりした味わいだ。ビタミンCやミネラル、免疫力を高めるたんぱく質を多く含む。80頭から1日約7リットルずつ搾乳。チーズやジェラート、チョコレートも作る。
古代エジプトのクレオパトラがラクダ乳の風呂に入ったというので、シャンプーやクリームなどのスキンケア商品も開発した。
もともと豪大陸にラクダはいなかった。歴史は英国からの入植が進んだ19世紀半ばにさかのぼる。砂漠の広がる内陸部へ物資を運ぶためラクダの利用が本格化。約2万頭のラクダと約2千人のラクダ使いがやって来た。歴史家パメラ・ライコブスキさん(68)によると、アフガニスタンや現在のインドとパキスタンにまたがる地域の出身者が多く、「アフガンのラクダ使い」と呼ばれた。
内陸部の牧羊地や鉱山に飼料や資材、生活物資を運び、輸出用の羊毛や銅、小麦を積んで戻っていた。鉄道と自動車の登場で1920年代までに需要が減少。ラクダの殺処分を政府から求められたラクダ使いたちは、野に放った。
その後野生化して増えたラクダは近年、家畜施設や水路を壊し、先住民の聖地を荒らすなど問題化した。2009~13年に政府主導でヘリコプターから射撃するなどして16万頭を駆除したが、推計30万頭が残る。
フラッドさんはラクダビジネスを始めた理由に、この駆除を挙げる。「ラクダは我々の資産。射殺せずにうまく管理すべきだ」
ラクダ運送の拠点だった南オーストラリア州にラクダ使いの子孫を訪ねた。

州都アデレードのアブドゥル・ムーシャさん(82)は幼いころ、祖父と父やおじたちが20~30頭のラクダに荷を積んで出て行ったことを覚えている。「2、3カ月は戻ってこなかった」。後に「最後のラクダ使い」と言われた一家だった。家では大きな鍋で作ったカレーを囲んだ。

家やモスクで礼拝をしていた祖父は、ムーシャさんが7歳のとき他界。信仰も途絶えた。数年後、父はラクダの仕事をやめた。
同州立博物館のフィリップ・ジョーンズ上級学芸員によると、政府が白豪主義政策で非白人の移民を制限した1901年以降、ラクダ使いたちは帰郷すれば再入国が難しくなったため、白人や先住民の女性と結婚し、住み着いた。
アデレード北方のバラクラバに住むジャニス・ノイス(旧姓モハメド)さん(76)の祖父はペシャワル(現パキスタン)出身。生まれたとき、すでにラクダ使いをやめていた。やはりイスラムの実践は受け継がれなかったが、父がノイスさんに「首や腕を露出して外出するな」と言っていたのは祖父の影響だという。
世代を重ね、ノイスさんら子孫の外見は白人の豪州人と区別がつかない。それでも「祖父たちはこの国の輸送業を切り開いた。私たちは、ほかの人々にない歴史を受け継いでいる」。その誇りを娘や孫に伝えていきたいという。

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